「東日本大震災から10年」というニュースが今年に入り新聞やテレビで特集が組まれ一つの節目であるかのように扱われています。マスコミでは震災の発生日を「あの日」と表現することが多いようです。今回、広報室では特別版コラムとして東日本大震災で被災した経験を持ち、現在、あい・あい保育園東池袋園で勤務する保育士の「あの日」を紹介することで、震災を忘れないこと、そして、日ごろからの備えの大切さを伝えたいと思います。

「亡くなったお母さんに子どもの頃から『私、保育士になるね』と話していたんです」

昨年、入社した内海美夢さんも「あの日」を忘れられない一人です。なぜ、保育士を目指したのかにはこう話し、震災で亡くなった母親との〝約束〟であったことを教えてくれました。

宮城県東松島市出身で震災当時は中学1年生。平成23年3月11日は、中学で行われた卒業式の後片付けをバスケットボール部員数人と一緒に行っていた時に、それは突然やってきました。

大きな揺れが校舎を襲い、その場にうずくまり揺れに耐え続けました。「まるで、遊園地のアトラクションのジェットコースターのような揺れでした」と振り返ります。教員の指示で校舎2階の教室に避難すると、今度は津波が校舎に迫ってきました。内海さんが通う中学校は海岸近くにあり、瞬く間に津波が校舎を吞み込もうとします。

「映画で見た津波の壁が重なって迫ってきました。教室のベランダに机や椅子を上げて何とか食い止めました」。教室の窓に「S・O・S」の文字を貼り付け、懸命に救助を求めたと言います。

震災翌日。津波は、内海さんから大切なものをたくさん奪っていました。学校、自宅、友達、そして最愛の母親…。母親は震災発生直後に内海さんを迎えに中学校に向かう途中に津波被害に遭ったそうです。震災から一カ月後に「母親」が見つかり、葬儀も執り行いましたが、「家族で私だけが母を見ていないんです。私にとっては綺麗なままのお母さんのイメージでいてほしいと父が願ったので」と話します。

内海さんは中学卒業後、地元の高校、そして保育士になる夢を抱き、仙台市内の大学に進学しました。震災から大学進学まであっという間ということですが、その理由に「悲しみにくれる余裕さえなかった。生きるために必死でした」とも。大学は震災犠牲者の家族が活用できる奨学金を使ったといいます。これも「お母さんが大学に行かせてくれた」と言います。

あい・あい保育園を選んだ理由については、「園見学ツアーで訪れた時、建物がすごくきれいで、保育士と子どもの距離が近く、家みたいな雰囲気を感じたことで、ここだと思いました」。現在は0歳児を担当し、「最初は保護者の方と何を話せば良いか悩みましたが、今は園児のその日の出来事をイメージできるよう伝えることが何よりも大切だと思っています」。


一方で、仕事やプライベートで悩んだ時はいつも母親を思い出し、「お母さんならどう思うのだろうか」「ママなら、こうするんだろうな」と考えを巡らしながら過ごすことが多いことも教えてくれました。また、園児を守るため、日ごろから災害に対する備えをけっして忘れないようにしているといいます。

3月11日は東京で行われる合同慰霊祭にコロナ禍で会えなかった父親が参加するため、久しぶりに再会する予定です。「あの日」から10年。内海さんは最後に自身に言い聞かせるよう、こう語りました。
「震災から10年となりますが、母とはいつも一緒にいるという感じです。母と約束してなった保育士として、誰かに目標とされるようになるのが夢です」

3月11日は東日本大震災から10年となります。死者1万5899人、行方不明者2527人―。この数字は昨年12月に警察庁がまとめた震災犠牲者です。ほとんどが津波によるものということです。犠牲になられた方には改めて追悼の意を捧げるとともに被災地の継続的な復興をお祈り申し上げます。

文責:石元