平成23年3月11日。午後2時46分。東日本大震災が発生した時、現在、あい・あい保育園東池袋園で保育士として勤務する門間貞子さんは、当時は福島市内で経営する保育園にいたといいます。
「ちょうどお昼寝の時間を終えて園児を起こそうとした時にガタガタと大きな揺れがきて、園児を抱いて園庭に逃げました」。幸いけがをした園児はいませんでしたが、門間さんの人生は「あの出来事」を境に一変したといいます。

東京電力福島第1原発の水素爆発―。

3月12日に福島第1原発1号機で、14日には3号機、15日には4号機で爆発が起き、建屋の上部が崩壊しました。崩壊した壁は厚さ約1mの鉄筋コンクリート製で爆発のすさまじさが想像できます。「原発事故による放射能に対する恐ろしさで福島からどんどん人が逃げていきました。県外に移住する園児の家族も続出して保育園から子どもが一瞬で消えました」と門間さんは振り返ります。

門間さんの保育園があった地区は国が定める被ばく線量の基準を上回り、除染作業を行っても線量が下がらなかったために別の地区に移転することになりました。しかし、移転前に20人以上いた園児は移転後にはわずか3人に激減し、結果的に保育園運営を断念することになりました。当時の心境は「私も除染作業員なのか保育士か分からない生活でした…」と言います。

ただ、その一方で、福島には世界中からの支援も続々と届きました。自主除染を行う門間さんらの活動をまとめた絵本に関心を持ったオーストリア公共放送(ORF)から震災後の復興支援をテーマに取材を受け、震災から5年後には移転した保育園での活動を、そして震災から10年となる今年は現在、東池袋園で勤務する門間さんの近況が取材されることになりました。

門間さんは原発事故の被災者であるとしたうえで、「福島から東京に来て、あい・あい保育園で働いて一生が学びだと改めて思います。そこには、心が解放され伸び伸びしている自分がいます。保育士として何でもできるようになることが目標で初心に帰って頑張ります」と今後の生き方についてこう語りました。

実は、今回の取材ですごく嬉しいことがありました。それは当時の福島の保育園に在籍していた子どもたちとの再会です。震災後に北海道から沖縄まで全国各地に移住や避難した年長組の子どもたちで、現在は高校1年生になっているといいます。子どもたちが小学生の時に何人かとは大阪で会ったといいますが、今度は「約束の地」の福島で、です。保育園児だった子どもたちとの再会で、門間さんにはいったいどんな〝景色〟が見えるのでしょうか。

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あい・あい保育園 東池袋園に勤務する保育士の門間先生がオーストリア公共放送(ORF)のドキュメンタリーの取材を受けました。

オーストリア公共放送のレポーターに今回の取材の背景を聞くと、「震災の報道で、オーストリアのひとたちが強い関心を持っているのは、原発事故のことです。オーストリアでは原子力発電に対してはネガティブな意見が多い。そのため、福島で被災した方を門間先生含め、震災直後、5年目と取材させてもらいました。今年は10年目の節目ですし、彼女の保育士として働いてきた生活の変化を取材したい。」と語りました。

だるまさんに扮した園児とメロンさんに扮した門間先生

取材クルー2名が来園したその日は、東池袋園では「大きくなったね会」を行っていました。

通常、園では保育参観などで子どもたちの保育園での様子を観て頂いていますが、今年はコロナ禍のため、動画配信サービスCCS MEMORUを使い、子どもたちの成長した様子を撮影し、ご家族に配信しています。門間先生と担任を務める0歳児クラスの子どもたちは大好きな絵本“だるまさん”の衣装に着替え、お遊戯を披露しました。門間先生がどてっと転がると子どもたちも合わせてどてっと転がるその様子を観ていたレポーターもコロナ禍という状況の中で、ITを使った取り組みへの驚きと園児たちの可愛いだるまさん姿に思わず笑みがこぼれていました。

福島にて3.11の震災に遇い、自身が開設されていた保育所をたたみ上京をした門間先生。震災から10年が経ち、あい・あい保育園で今も保育にあたっている門間先生の笑顔には、前向きに生きる力強さと子どもたちへの深い愛情を感じました。

オーストリア公共放送 ORFとは?:
オーストリアの国民49パーセント(370万人)が1日ベースで、視聴している番組。
ウエブサイト:http://ORF.at

取材の様子はこちらからご覧いただけます。

WELTjournal: Fukushima – die endlose Katastrophe

文責:石元